
建築設計における構造設計は、利用者の安全と安心を守る上で極めて重要な役割を果たしています。特に地震大国である日本では、災害から人命を守り、建物の機能を維持するために、構造設計はなくてはならない仕事の一つです。
以前は意匠設計と構造設計は明確に分業されていましたが、近年では構造技術が高度化し、複雑で斬新な建築デザインの実現に不可欠なものとなっています。そのため、大規模建築や複雑な機能を持つ建築プロジェクトにおいては、設計の初期段階から構造設計者が参加することが必須となっています。
本記事では、建物の安全性を担保する構造設計の基本概念、具体的な業務内容、仕事の全体的な流れ、そしてこの分野で求められる専門的な役割とスキルについて、包括的に解説します。
1. 構造設計の基本概念と社会的役割
構造設計の定義と位置づけ
建築設計は大きく分けて、意匠設計(デザインや間取りの計画)、設備設計(空調、上下水などの環境づくり)、そして構造設計の3つの分野に分かれています。
構造設計とは、建物が自重、積載荷重、風圧力、地震力などの様々な外力に耐えられるよう、建物の骨組みを設計する技術分野です。具体的には、諸条件から要求される安全性を確保するために、梁や柱などの配置や断面を計画し、構造計算に基づき安全性を検証する工程です。
構造設計は、単に計算を行う作業ではなく、建築デザインと構造性能のバランスを取りながら、建物全体の安全性を確保する創造的な作業でもあります。力学に基づいた計算により安全性を確認するため、物理学に近い側面を持っています。
ポイント💡:人命と財産の保護
構造設計は、建物の安全性を確保する上で最も重要な工程の一つであり、人命保護の観点から社会的責任が非常に大きい業務です。適切に設計された建物は、災害後も機能を維持し、社会基盤としての役割を果たすことが期待されます。
構造設計者の役割の変化
以前は、意匠設計で決定された建築デザインに対して、構造体を落とし込むという分業体制が主流でした。しかし、構造技術の高度化により、より複雑な形態も実現可能になったため、初期提案時からの構造設計者の介入が重要になってきています。
近年では、構造設計はただ堅い職種としてではなく、エンジニアリングとしてのクリエイティビティが必要とされる現場が増えており、構造設計者としての評価のされ方も変わりつつあります。意匠設計者と緊密に連携し、創造性を尊重しつつも、物理法則に基づいた実現可能性や安全性の観点からアドバイスを行うことが求められます。
2. 構造設計の具体的な業務内容と全体の流れ
構造設計は、意匠設計が決定した建築をもとに、柱や梁の配置といった構造設計を行うため、設計段階においては中盤から終盤にかけての仕事となることが多いです。
構造設計の全体的な流れ(プロセス)
構造設計の業務は、構造計画の立案から始まり、構造計算、図面作成、そして施工段階でのサポートに至るまで多岐にわたります。
| ステップ | 業務内容 | 詳細な役割と検討事項 |
|---|---|---|
| 1. 構造計画 | 構造種別、架構形式、柱・梁・耐力壁の配置、基礎形式を決定。 | 意匠を台無しにしないよう、意匠的な知識も必要とされる、構造設計の中で最も重要な部分。略伏図と仮定断面を作成する。 |
| 2. 設計荷重の算定 | 固定荷重、積載荷重、地震荷重、風荷重、積雪荷重などを建設地や用途に応じて慎重に設定。 | この設定が不適切だと後の構造計算に影響が出るため、非常に重要。 |
| 3. 二次部材の設計 | 地震力を受けないスラブ(床)や小梁などの設計。 | 常時荷重で断面が決まることが多く、設計ミスは床の振動やたわみなどの使用上の支障に直結するため注意が必要。計算プログラムを使用することが一般的。 |
| 4. メインフレームの設計 | 柱、大梁、耐震壁などの主要構造部材(メインフレーム)の設計。 | 一貫構造計算プログラムを用いて、モデル化、剛性計算、荷重計算、応力計算、断面検定を実施。設計ルートに応じた偏心率、剛性率、層間変形角などの確認も行う。 |
| 5. 基礎の設計 | 地盤調査結果と建物の重量に基づき、直接基礎または杭基礎などの形式を決定。 | 基礎・地盤は上部構造以上に不確実な部分が多く、構造設計の中でも難しい部分の一つ。建物の経済性(コスト)に大きく影響する部位でもある。 |
| 6. 保有水平耐力の検討 | 大地震時(震度7程度)に対して、建物が倒壊しないか(人命保護)を確認する。 | ルート3(保有耐力計算)で直接検討される。荷重増分法と呼ばれる解析手法で、建物が不安定構造になった時点の地震力(保有水平耐力)が必要耐力を上回っているかを確認。梁よりも先に柱が壊れていないかなど、良い壊れ方をさせる検討が重要。 |
| 7. 構造図の作成 | 基礎伏図、軸組図、部材リスト、詳細図などをCADで作成。 | 施工者に構造設計の意図を伝える最も大事な資料。構造計算が正しくても、図面との不整合があれば建物は危険な状態になるため、構造図の作成こそが目的であり、計算はそのプロセスであるとも言える。 |
| 8. 建築確認申請 | 設計が建築基準法に適合しているか審査を受ける手続き。 | 平成19年からは、設計ルートによっては構造計算適合性判定を受ける必要があり、専門家による審査に対応する。 |
| 9. 工事監理 | 施工段階で、設計図書通りに施工が行われているかをチェックする。 | 施工不良を防ぐための重要な業務であり、杭の施工誤差に対する補強検討などを行うこともある。 |
耐震改修における構造設計
近年、古い建築を改修して再利用する動きが増えています。構造に関する規定は度々強化されているため、改修時には現行法に合致させる必要があります。
新築の設計とは異なり、耐震改修では、現状の建築をしっかりと読み込み、美しい造形を損ねることなく構造体を強化する難しさがあります。単にコンクリートを増やすのではなく、重量を減らして地震力を緩和したり、接合部を見直したりするなど、柔軟なアプローチが求められます。改修の設計の増加は、構造設計者にとって見せ場が増えたことを意味します。
3. 構造設計に求められる役割と資格
必須の技術的スキルとマインドセット
構造設計は人々の命を直接的に守る責任重大な仕事であり、間違いが許されません。
| 必須スキル | 詳細 |
|---|---|
| 力学の深い理解 | 力とモーメントのつり合い、応力と変形の関係、座屈現象、地震工学や振動論など、基本的な力学原理の理解が必須。 |
| 材料特性の知識 | コンクリート、鋼材、木材などの特性や挙動を理解し、適材適所で活用する能力。 |
| 構造解析ソフトの操作 | SS3、BUILD.一貫構造計算、MIDAS、SAP2000などの汎用ソフトを使いこなすスキルが必須。大企業では専用の自社ソフトを使う場合もある。 |
| CAD/BIMスキル | AutoCADやVectorworksなどのCADソフト、近年普及しているRevitやARCHICADなどのBIMツールを使用し、正確な構造図面を作成する能力。 |
| 法規・基準の知識 | 建築基準法や関連法規、日本建築学会の各種設計基準についての深い理解。 |
また、建物と向き合い、どのような力が加わるかをシミュレーションでき、物理現象などへの想像力が豊かな人が構造設計者に向いていると言えます。
構造設計に携わるために必要な資格
構造設計を行う建物は規模が大きいものが多く、構造設計者にとって一級建築士は必須となるでしょう。
| 資格名 | 概要と役割 | 取得条件 |
|---|---|---|
| 一級建築士 | 建築設計全般に関わる最も基本的な国家資格。構造設計を含むすべての建築物の設計・工事監理が可能。 | 指定された学歴と実務経験(最短2年)の後、国家試験に合格。 |
| 構造設計一級建築士 | 一級建築士の上位資格であり、高度な構造設計の能力を証明するスペシャリストの証。 | 一級建築士を取得後、5年以上の構造設計の実務経験を経て、講習の受講と考査に合格。 |
| 建築構造士 | 日本建築構造技術者協会(JSCA)が認定する民間資格。業界内での評価が高い。 | 一級建築士の資格と5年以上の構造設計実務経験が必要。 |
【構造設計一級建築士の制定背景】
構造設計一級建築士は、平成20年に制定されました。これは、平成17年に発生した耐震偽装問題を受け、コスト削減のために構造計算書が改ざんされた事態に対処するため、大規模な建築の構造計算には、一級建築士よりもさらにハードルが高い、スペシャリストの資格を整える必要があったためです。
4. 構造設計の未来とキャリアパス
最新技術による変革
建築業界はテクノロジーの進化により転換期を迎えており、構造設計の手法も変化しています。
- BIM (Building Information Modeling):意匠・設備との整合性確保や干渉チェック、数量算出の自動化など、構造設計に多くのメリットをもたらしています。今後はBIMを活用した解析の自動化・最適化が進むと予想されます。
- ジェネレーティブデザイン:AIが設計条件に基づいて複数の設計案を自動生成する技術で、重量や材料使用量を最小化しつつ強度を確保するなど、最適な構造形態の探索に役立ちます。
- 高度な構造解析:有限要素法(FEM)の進化により、非線形解析や動的解析が一般化し、極限状態での建物の挙動予測がより精密に行えるようになっています。
これらの技術革新により、構造設計者は今後、計算や図面作成から、より創造的な構造計画や最適化、プロジェクト全体のコーディネーションに焦点を移すことが予想されます。
持続可能性(サステナビリティ)への貢献
構造設計は、環境問題への対応においても重要な役割を担います。
- 構造材料の環境負荷削減:低炭素コンクリートや認証木材、再生鋼材などの採用が進んでおり、木構造への再評価も進んでいます。
- 最適化:形状最適化や位相最適化などの手法を用い、必要最小限の材料で最大の性能を発揮する構造システムが開発されています。
- レジリエンスの向上:想定を超える自然災害に対し、機能を維持できる強靭な構造システムの開発が求められています。
キャリアと年収
構造設計者は専門性が高く、設計業界の中では比較的安定した収入が得られる職種です。
構造設計一級建築士などの高度な資格や、複雑な大規模プロジェクト、特殊構造の設計経験があると、年収が大幅に上がる傾向があります。ベテランや管理職になると、年収1000万円以上も期待できます。
構造設計者としてのキャリアパスは、アシスタント・エンジニア(基礎知識と一級建築士取得)、構造設計者(独立プロジェクト担当、上位資格取得)、シニア・エンジニア(大規模プロジェクト、後進指導)、そして部門責任者や独立・起業へと進むのが一般的です。
主な就職先には、専門性を高められる構造設計事務所、意匠設計者と密接に協働できる総合設計事務所、そして施工との連携が密なゼネコンの構造設計部門などが挙げられます。
構造設計は、建物の安全性を確保し、利用者へ安心を提供する極めて重要な専門職です。力学や材料特性の深い知識、構造解析ソフトウェアを駆使する技術力、そして意匠設計者や他の専門家と効果的に協働するコミュニケーション能力が求められます。
特に日本では、建物の規模が大きいほど構造設計の専門性が問われ、一級建築士を基本とし、構造設計一級建築士や建築構造士といった上位資格の取得がキャリアアップに不可欠となります。
将来的に、BIMやAIなどの新技術の導入により業務に変革が進む一方で、建物の安全性を確保するという構造設計の基本的役割は不変であり、持続的な需要が見込まれています。防災・減災意識の高まりや環境問題への対応は、構造設計の重要性をさらに高めるでしょう。
構造設計に携わることは、自然の原理を理解し、見えない力の流れ方を読み込み、建築が地に足をつけることに寄与する、非常にやりがいのある魅力的な仕事です。

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